Chocolat & Akito、Great 3 などでの音楽活動の他にも、近年は新進プロデューサーとして"Sister Jet"や"フジファブリック"など、数多くのミュージシャンを手がけている。
お仕事の依頼など、メッセージは akito@great3.com まで。
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アルバム「フジファブリック」のレコーディングを無事に予定通り終えることができ、
あとは最終工程のマスタリングを残すのみとなった。
マスタリングという作業はCDには到底入りきらないほど大きな情報量であるマスターテープを、
CDの容量に落とし込むために必要なもので、センスの悪いマスタリング・エンジニアに任せっきりにすると、
それまで慎重に創り上げてきた音がすべて台無しになる危険性すらある重要な作業だ。
今まで、Great 3のアルバムはすべてアメリカのマスタリング・スタジオに持ち込んで作業してもらっていた。
もちろん国内にも何人か好きなエンジニアはいるし、辣腕エンジニアと呼ばれる名手もいるのだが、
僕にはどうしてもマスタリングという作業だけは海外のエンジニアの創る音が好みだったのだ。
それはもしかすると、欧米の音楽ばかりを聴いて育った僕の出自にも関係しているのかもしれないけれど。
ちょうどその時も、ひとり気になっているマスタリング・エンジニアがいた。
The Beatlesで有名なイギリスのAbby Road Studios に所属している Steve Rookeだ。
ちなみに昨年世界中で話題になったビートルズのリマスター盤を担当したのも彼だ。
ジョン・マッケンタイアからも彼の噂は聞いていたし、彼の手がけた音は僕の好みでもあった。
あのスティーヴ・アルビニのような音にこだわりのあるエンジニアが「もし予算があるならば、
マスタリングは絶対にアビーロード・スタジオへ行って作業したい」と言っていると聞いたこともあった。
完成したばかりのフジファブリック1stアルバムに似合うマスタリングの音を考えたときに、
シングル同様に日本で作業を行うか、アメリカのマスタリング・エンジニアによる、カラッと派手で
音圧のあるロックな音も良いかと思ったのだが、1stアルバムに志村くんが書いた楽曲が持つ、
繊細でどこか湿った空気感には、ロンドンの空気、そしてスティーヴ・ルークの音こそ最適なのではないかと
直感がした。
調べてみると、幸いにもアビーロード・スタジオはEMI系列のスタジオだったので、EMIを通して
ブッキングできることが分かった。
しかし海外でのマスタリングとなると料金自体は日本とさほど変わらないにせよ、渡航費などの経費が
余計にかかってしまう。
それに何より、メンバー全員を連れていくのは予算的にも新人バンドには到底無理な話だった。
僕は志村くんとマスタリングについて話しあった。はじめ彼は海外での作業に非常に懐疑的だった。
「正直、海外に行けば良いものができるとは信じられません。」
そう言い切っていた。それは確かに正論だった。
僕らはいくつかのCDを聴きながら、さらに話しあった。スティーヴ・ルークが手がけた仕事の中には
その当時志村くんが気に入っていたフランツ・フェルディナンドの1stや、デヴィット・ボウイ、
そしてザ・ビートルズのYellow Submaline Songtrack や Let It Be Naked、さらにジョン・レノンの
ソロ諸作のリマスター盤なども含まれている。
彼はまさに大英帝国を代表するマスタリング・エンジニアの一人だった。
その音は柔らかく奥行きがあって、どんなに激しくても耳が痛くならないくせに、これぞROCKという音だった。
彼の手がけた音を聴いていくうちに、志村くんの中にもスティーヴ・ルークとの仕事に対して
興味が生まれてきたようにみえた。
そしてついに「わかりました。片寄さんを信じてロンドンへ行きます。」そう言って頷いてくれた。
ロンドンへはディレクター今村くんと志村くん、そして僕の3人が予算の限界だった。
志村くん以外のメンバーに、一緒にロンドンへは行けないことを伝えなければいけなかった。
僕は彼らの気持ちを考えると、胸が張り裂けそうだった。
1stアルバムの仕上げ作業、しかもアビーロード・スタジオでの作業に立ち会いたくないミュージシャンなんて
ひとりもいないだろう。出来ることなら全員で祝いたい作業なことは百も承知だった。
僕からの説明を聞いたメンバーは、一様にガックリと肩を落としてしまい、寂しそうだった。
しかし最終的には「志村と片寄さんにまかせます!」といって、笑顔で僕らを送り出してくれた。
あの時のメンバーの寛大な気持ちには、今も頭の下がる思いでいっぱいだ。
みんなにこんな思いまでさせてロンドンへ行くのだ。絶対に素晴らしい出来に仕上げて帰って来なければ。
プレッシャーを感じながらも、僕は固く胸に誓った。
レコーディング終了からマスタリングまでの間、短期間だが久しぶりに休暇が取れた僕は、
マスタリングの前にショコラとロンドンに前乗りして、自費で短期滞在をすることにした。
もちろん休暇も目的ではあったが、何よりも現地に前乗りして時差ボケも取り、万全の状態に耳を整えてから
大切なマスタリングに挑むためでもあった。
志村くんと今村くんはマスタリング前日にロンドン入りすることになっていた。
ロンドンに来るのは2回目だった。1度目は95年秋、Great3のシングル「DISCOMAN」をレコーディング
するためメンバー全員でTownhouse Studiosを訪ねた時以来だ。
ほぼ10年振りのロンドンだったが、今回もそのときと同じ、小さいけれども居心地の良いホテルをチョイスし、
そこに志村くんたちも合流することになった。
そしてマスタリング前日の昼下がり、約束の時間にホテルの窓からロンドンの街角を眺めていると、
いつものように大きな黒いリュックサックを背負った志村くんが、眠そうな顔でトランクを引きずりながら現れた。
「あ、片寄さん!なんか、ロンドン...実感ないっすね」とまぁいつもの感じそのままに。
とりあえずその日は一緒に食事をして、ゆっくりと休んでもらい、作業は翌日からスタートすることとなった。
通常日本でのマスタリングはアルバム1枚分を1日で終えてしまうものだが、スティーヴ・ルークからは
1枚のアルバムに2日間必要だと言われていた。
当たり前だがアビーロード・スタジオは、あの見慣れたビートルズのジャケットと同じ横断歩道前にあった。
壁にはファンによるたくさんの落書きが書かれていて、今もみんなビートルズが好きなんだなぁと思っていたら、
志村くんが「あれっ、Chris LOVE!ってのが多いですね」というので、よくよく見てみるとそのほとんどが
Coldplayのクリス・マーティンへのファンの落書きだったのは面白かった。
確かに若い世代には、伝説のアビーロードもビートルズというより、彼らが使っているスタジオってだけなの
かもしれない。
「このスタジオから伝説的なアルバムが数え切れないほど生まれたんですねぇ。。。」志村くんがボソッとつぶやく。
そう思うとついスタジオ内を観光気分でふらつきたい気持ちもあったが、初日なのでそんな余裕は当然ない。
僕らは足早に受付を済ますと、スティーヴ・ルークのルームを目指した。
スティーヴ・ルークは実に気さくな、いかにもロンドンのパブでビールを飲んでそうな中年のおじさんだった。
昨日はここでポール・マッカートニーが作業していたんだよと言って、彼が忘れていったギターのピックを
僕らにくれたりもした。
志村くんは僕に小声で「普通のおっさんですね」と言ってニヤニヤしていた。
僕たちはスティーヴに、なぜアビーロード・スタジオまで来たのか、彼にどんな音を求めているのかを説明した。
当時日本のシーンは音圧競争の真っただ中で、とにかくレベルを突っ込んだ派手で大きな音のCDをみんな求めていた。
そんな一瞬のインパクト重視で音楽的じゃない疲れるCDなど、僕らは当然好きではなかった。
しかしフジファブリックはそんなシーンの中にこのアルバムで切り込んでいかなければならなかった。
スティーヴ・ルークがそんな日本の風潮の対極にいるエンジニアなことは承知だった。
僕らは彼の美学が崩れないギリギリのところでレベルを決めてもらうことをリクエストした。
そして「フジファブリック」のマスターテープがアビーロード・スタジオのマシーンにセットされ、
ついに作業がスタートした。
「いいっすね! あ、今のギターの音、ビートルズみたいな音に聴こえます!」
志村くんは自分の創った音がイギリス人の手で生き生きと躍動しはじめるのを目の当たりにして
テンションも上がってきたのか、かなり嬉しそうな顔を見せ始めた。
スティーヴも志村くんの曲に「この曲すごくいいね。」とか「これは日本以外の国では発売しないの?」
とか、1曲作業が終わるごとに一言感想をはさみながら、ご機嫌に作業を進めてくれた。
アビーロードまで来たことは自分の中で大きな賭けだったのだが、彼の手腕は実に見事だった。
決して派手な音ではないのだが、ふくよかなうねりがあって、何回聴いても飽きない暖かな音。
それでいてレベルも充分にあって、少しボリュームを上げると、さらにいい感じに音が鳴り始める。
全ての音が一皮剥けるように、楽器の音色も僕らがスタジオで聴いた音そのままに近づいていった。
スタジオのモニタースピーカーの1つが、いつも川面くんがレコーディングで愛用していたものと同じ、
YAMAHA 10Mという日本でもおなじみのスピーカーだったこともあり、志村くんの耳には
スティーヴの手腕がどのくらいのものなのかすぐに理解できたようだった。
「このスピーカーからこんな音が出せるんすね。来て良かったです!」
まだ日本に残っているメンバーに仕上がりを聴いてもらい、オッケーをもらうまでは気が抜けないが、
ここまで来たことは、間違いじゃなかったようだ。
何もかもが順調に進み、結局初日でほとんどのマスタリング作業を終えてしまったおかげで
翌日は音の再確認をして、曲間の長さを決めていく作業だけとなりそうだった。
ようやく見えてきたゴールに胸を高鳴らせながら、僕らはホテルに戻り、近所のインディアン・レストランで
美味しいカレーを食べ、明日に備えて眠った。
そして翌日。曲間の長さ決めも、何の問題もなくバッチリと決まり、ついにアルバム「フジファブリック」が
完成した。
これがその瞬間の写真だ。
(今村、スティーブ、志村、片寄)
ようやく緊張の糸もほぐれた僕と志村くんは、ディレクター今村くんが諸々の諸手続に追われている間、
仕事終わりに合わせて合流したショコラと3人でアビーロード・スタジオの探索をすることにした。

(志村くんとショコラ)
スタジオには洒落た中庭があって、その脇には食堂やデリもあって、ミュージシャンらしき人たちが
暖かな陽射しを浴びながら、中庭のベンチでサンドウィッチにかじりついていた。
「こういうのいいっすね~」志村くんは中庭が気に入ったみたいで、自分もベンチで煙草をくゆらせていた。
たしかアビーロードにはビートルズがそのほとんどの曲を録ったスタジオが当時のままの設備で、
いまも残されているはずだった。
そう思ってウロウロと探していると、突然「片寄さん!ここじゃないですか?」と志村くんが目の色を変えた。
部屋の名前を見ると「Studio Two」間違いない、あの世界で一番有名なスタジオだ。
しかしドアには「工事中につき、立ち入り禁止」と張り紙がされている。
僕らは黙って目を見合わせると、同時にニヤっと笑い、おかまいなしにドアノブを廻した。
幸いにも中には誰も人がいなかった。
目に入ってきたのは天井の高いとても年季の入った、まるで体育館にもできそうなくらい大きなスタジオだった。
「ビートルズ・アンソロジーのDVDに何度も出てきた部屋じゃないすか!!」志村くんがおもわず声を上げた。
コントロールルームは中2階にあった。ビートルズの写真でプロデューサーのジョージ・マーティンが
ここから下で楽器を抱える4人に声をかけている写真を見たことがあったのだが、まさにそのままだった。
「これってもしかするとポールが弾いてたピアノと同じじゃないですかね」志村くんはそういって
年代物のピアノに腰掛けると、蓋を開けてピアノをポロポロと弾き出した。
まるで夢のような時間だった。いつまででもここにいたいような気持ちだったが、立ち入り禁止の場所。
いつ誰に怒られるかも分からないので、僕らは何枚か記念写真を撮ると、後ろ髪を引かれながらもスタジオを後にした。
(STUDIO TWOにて)
ちょうど手続きを終えた今村くんが僕らを捜していた。
僕たちはビートルズの、あのスタジオへ潜入したことを自慢し、今村くんを悔しがらせた。
帰り際に志村くんが「メンバーのためにアビーロードグッズをおみやげに買いたいです」と言った。
スタジオの売店で、アビーロードの名前の入ったグッズをいくつか手に入れて僕らはスタジオを後にした。

(アビーロードがあるSt. Jone's Wood駅の売店前で。)
帰りはもちろんお決まりのアビーロード・スタジオ前、横断歩道での記念撮影である。
しかし現場は思っている以上に交通量の多い場所で、とても落ち着いて写真を撮れるような状況ではなかった。
きっとビートルズは早朝誰もいない時間に撮影したに違いない。
それでも僕らは何度も何度もビートルズの4人のように横断歩道を渡っては写真を撮った。
志村くんも僕も完全に子供に戻ってしまい、大笑いだったのを憶えている。

(アビーロードを横断する志村くん)
そのまま僕らはカムデンという、東京で言うと原宿と下北沢を足して2で割ったような街へ向かった。
東京で待つメンバーへのさらなるお土産探しだ。
カムデンにはいわゆるロック・ショップが多い、志村くんは日本ではなかなか見つけづらいレアなバンドTシャツや
缶バッチなどを見つけては、メンバーのためにといって買い込んでいた。

(カムデンまでロンドンタクシーで向かう僕ら)
翌日には帰国するというハードスケジュールの志村くんのため、その夜、ホテルの前にあったスペイン料理店で
ささやかな打ち上げをした。彼もアルバムが完成してようやくホッとしたようだった。
「ロンドン、悪くないっすね。いつかまたゆっくり遊びに来たいです。」と、実にいい笑顔を見せてくれた。

(レストランにて完成を祝う)
いい具合に酔っぱらった僕は、せっかくだからと彼を連れてロンドンの街へナイト・クラビングに繰り出すことにした。
ちょうどその夜はスタンリー・キューブリック監督が遺作「アイズ・ワイド・シャット」の撮影でも利用した老舗クラブで
大好きなKeb DargeというレアファンクをかけまくるDJがイベントを行うと聞いていたのだ。
その後は開放感からか、ちょっと飲みすぎたようで残念ながら記憶もおぼろげだ。
憶えているのは、同じく飲みすぎて気分が悪くなってしまい、「キモチわるい・・・」という志村くんを連れて、
クラブの外に出て、目の前にあったスターバックスのトイレで吐かせると「気分爽快です!」と言って帰ってきたこと。
これまた同じく飲みすぎた今村くんが、突然タクシーの窓を開けたと思ったら無言でスペイン料理を全部吐きだして
しまい、それを見た志村くんが意地悪そうな顔で大爆笑していたことぐらいだ。
深夜ホテルに戻り、僕は志村くんがまだ気持ち悪くないか心配になって、彼の部屋を訪ねた。
ノックをしても返事がない。ドアの鍵はかけられていなかった。そっと中を覗いてみると、
彼は服を着たまま仰向けでベッドに横になり、頭の後で手を組み、愛用のヘッドフォンを耳に当て、目を閉じていた。
僕がいることに気づいた志村くんは「マスタリング、いい感じです!」といって笑った。
今日作業を終えてアビーロードでもらったばかりのサンプル盤をさっそく聴いていたのだった。
「よかったね、やったじゃん!」僕はそう声をかけ、部屋のドアを閉めた。
こうしてアルバム「フジファブリック」は完成した。
マスタリングされた音を聴いて、東京で待っていた4人のメンバーもOKを出してくれた。
EMIには70年代に箱根でピンクフロイドを観たというのが自慢なコバソウさんという、ロック好きの偉い人がいたのだが、
彼からも「最初は予算もかかるしどうかと思ってたんだけど、やっぱりマスタリング全然違ったね、素晴らしかったよ!」
と声をかけてもらえて、ホッとした。
仕上がったアートワークも最高だった。
レコーディング中に何度もスタジオを訪ねてきては、志村くんと打ち合わせしていた、彼らを昔から知るデザイナー
柴宮夏希さんは、このアルバムの世界観をじつにうまく表現した普遍的なジャケットを、よくぞ創ってくれたと思う。
アルバム「フジファブリック」は、いま聴き返しても、まったく6年という月日を感じさせない、
そして1曲たりとも駄曲のない名盤だと思う。
素晴らしい音楽は、たとえ時代が変わっても決して古くならないものだ。
きっとこの先何十年経っても輝きは消えないことだろう。
つづく