Chocolat & Akito、Great 3 などでの音楽活動の他にも、近年は新進プロデューサーとして"Sister Jet"や"フジファブリック"など、数多くのミュージシャンを手がけている。
お仕事の依頼など、メッセージは akito@great3.com まで。

http://www.great3.com/akito/
http://www.myspace.com/chocolatakito

https://twitter.com/akitokatayose

フジファブリック 8

July 17, 2010

 

 

そして2009年のクリスマスが訪れた。

クリスマスが結婚記念日でもある僕らは外食をし、上機嫌で帰宅した直後にその悲報を聞いた。

まったく訳がわからなかった。なんとか仕事をキャンセルした僕らは、夫婦で富士吉田まで駆けつけた。

 

それは突然のことだった。

志村くんはクリスマスイブの夜に何の理由もなく永遠に旅立ってしまった。

 

そこから先の記憶は、悲しすぎて断片的だ。

富士吉田で3人のメンバーと再会し、泣きながら抱き合った。

誰もが涙に暮れていた。

志村くんは病気だったわけでもなく、いくら調べても原因はわからなかったと聞いた。

 

安らかな顔で眠る志村くんに会っても、まったく現実味がなかった。

この体にもう志村くんの魂が宿っていないことだけはわかったが、

それを受け入れることはとても難しかった。僕はうまく呼吸すらできなかった。

大粒の涙が、ぬぐってもぬぐっても溢れてきた。

 

志村くんの御家族は本当に素敵な方たちだった。

御家族の哀しみを思うと、僕なんかはもう少し気丈にしていないと、と思ったが、

どうにも乱れる感情を抑えることができず、足下はふらついていた。

 

凍えるような寒さの中、次々とたくさんの人が集まりつつあった。

斎場にはメンバーが選んだ志村くんお気に入りのフジ曲が流されていた。

僕が彼らと一緒に創った「花」や「赤黄色の金木犀」なども流れ、そのたびに胸が締め付けられた。

 

その夜、やり場のない想いを抱えた僕らは、EMIのディレクター今村くん、そしてフジファブリックの

PVをほとんど録っていたスミスさんを含む何人かと、富士吉田駅の周辺で、ただなんとなく集まっていた。

誰もが一昨日以降、眠れず、ろくに食事も取れていなかったから、とりあえず何か食べられそうな場所を

当てもなく探した。

 

駅前の居酒屋を今村くんが見つけ「ここにしませんか?」と言った。

僕らはのれんをくぐって店内に入り、奥の座敷に陣取った。

お酒が入り、ようやく少しだけ気持ちをゆるめることができた僕らは、お互いにとりとめもなく

志村くんとの想い出を話して、その悲しみを分かち合った。

 

そんな時、見知らぬ男性が「志村の関係者のかたがたですか?」と僕らの席に声をかけてきた。

おそらく僕と同世代くらいの男性だった。彼もそうとう酔っているようだった。

 

「僕の弟がね。昔正彦と一緒にバンドをやっていてね。こいつ才能あるなって思ったんで、色々と音楽を

教えてやったんですよ」彼はそう話し始めた。

そして「正彦に、あんまり音楽聴きすぎると死ぬぞって何度も言ったのに」とドキッとさせる言葉を放った。

 

「あいつオレが教えたブラジル音楽にはまっちゃってね。しかも普通のボサノヴァとかじゃなくて、あいつが

好きだったのはエデュ・ロボみたいな変わった音楽。おまえこんなの好きなのか?と聞くと、はいっ!って

答えててね。ヘンな奴だったなあ」

 

僕はあっ!と心の中で叫び声をあげた。この人は志村くんが初めて家に来た時、僕のレコード棚を見ながら、

片寄さんに会わせたいって言ってた地元の恩人に間違いない。

どうやら志村くんの魂はまだ近くにいて、僕らはそれに導かれ、この店に辿り着いたようだった。

 

僕はフジファブリックの1stアルバムをプロデュースさせてもらったことを彼に話した。

「あぁ、あなただったんですね! 本当にありがとうございました。いやね、正彦とも話してたんですよ。

普通のJ-POPとかって、まずドラムの音が小さくてダメでしょ? フジファブリックもメジャーに行ったら

きっとそんな音にされちゃうんじゃないのってね。でもアルバム聴いたらオレの耳にもカッコイイなって

思えるサウンドだったから驚いてね。あいつにもよかったな!って言ってやったんですよ」

 

彼は副業として、富士吉田でブラジル音楽を中心とする中古レコードのディーラーをやっていたそうで、

それこそ2000年代にマルコス・ヴァーリのプロデューサーを務め、有名なレコード・コレクターでもある

ジョー・デイヴィスと直接のやりとりをしていたこともあったそうだ。

彼は筋金入りのマニアだった。志村くんがあまりにマニアックなブラジル音楽にも精通していた秘密がわかった。

僕は自分がマルコス・ヴァーリの再発も手がけたことを話し、彼とまた話しに花を咲かせた。

 

悲しみは消えないけれど、志村くんのスピリットがそばにいることがわかった。

僕は少しだけ気持ちを楽にすることができ、その夜はホテルでようやく眠ることができた。

 

翌日、富士吉田の空は曇っていて、富士山は灰色の雲に覆われ、その姿を隠していた。

僕は志村くんが「片寄さん、吉田うどんって知ってますか? めちゃめちゃ美味しいんですよ!

僕、今すぐにでもそれだけ食べに富士吉田に戻りたいくらいです」とよく話してくれていたことを思い出した。

 

僕らは告別式の会場から歩いて行ける吉田うどんを見つけ、その店を訪ねた。

まだ午前中ということもあって、店内には僕らしかいなかった。

僕は吉田うどんと瓶コーラをオーダーした。

僕は湯気の立ったうどんに手を合わせ、志村くんと一緒に食べているような気持ちでうどんをすすった。

それはとても、とても美味しかった。

 

そして斎場に集まった本当にたくさんの彼を愛する人たちに見守られ、出棺の時が来た。

それまで曇っていた空がいつのまにか割れ、陽の光が差し込み、雪に覆われた美しい富士山がその姿を現した。

その瞬間、きっと誰もが志村くんの存在を感じていたに違いない。

 

つづく

 

udon.jpg



 

 


Recent Entries
August 6, 2010
G.G.M Blogs
February 7, 2012
Sakura&Co.

February 7, 2012
Kinbara Chieko

February 7, 2012
Kinbara Chieko

February 6, 2012
Sakura&Co.

February 5, 2012
Kinbara Chieko