Chocolat & Akito、Great 3 などでの音楽活動の他にも、近年は新進プロデューサーとして"Sister Jet"や"フジファブリック"など、数多くのミュージシャンを手がけている。
お仕事の依頼など、メッセージは akito@great3.com まで。
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ここまでの文章を僕は一晩で一気に書き上げた。
その日は朝目覚めた時から、体の調子がおかしかったことを憶えている。
ちょうど体の左側半分だけが発熱しているような感じだった。こんなことは初めてだった。
体温を測っても特に熱はなかったが、左側の節々が痛み、どうにも具合が悪く参ってしまった。
その日は午後から、最近プロデュースさせてもらっている新人バンドのシングルをマスタリングして、
夜に帰宅したのだが、深夜になるとさらに体の左側が燃えるように感じられ、熱くて、熱くて、たまらなかった。
おまけに普通具合が悪いときは、すぐに眠れてしまうのが取り柄の自分なのだが、その夜は妙に目が冴えてしまい、
どうにも眠ることができなかった。
とにかくベッドに横になり瞼を閉じると、なぜか頭の中に何度も何度も志村くんが浮かんできた。
その日の前日にフジフジ富士Qのためのリハーサルがあり、3人のメンバーと今年に入って初めて会い、
久々に一緒に演奏したからだと思った。
瞼の裏に現れた志村くんは、あの眼差しで、じっと僕のことを無表情に見つめてきた。
僕はため息をつくと、眠ることを諦め、ベッドから抜け出し、なんとなくmacbookを開いた。
そして昨年末以来いつか文章にしたためようと思っていた、志村くん、フジファブリックとの想い出について、
怖がらずに導入部だけでも書いてみようと思い立った。
それは突然のことだった。
僕は不安も躊躇も手放し、何も考えずにただ書き出した。
1行書いたら最後、想いが次から次へと溢れてきた。
気がついた時には、朝がとうに通り過ぎていた。そして左半身の熱もどこかに消えてなくなっていた。
目の前には数万字の文章があって、僕は戸惑い、動揺した。
このタイミングでこういったものを発表することの是非にも、まったく確信が持てない。
僕はひとまず仮眠を取って、後でゆっくりと考えてみることに決めた。
志村くんからは何度も「片寄さん、いつかどこかで僕の音楽のことを語ってくださいよ」と言われていた。
彼は自分の音楽が正当に、音楽的にディープな視点から語られたことがあんまりないと思う、と語っていた。
もちろん僕はフジファブリックに対する評論をたくさん読んでいたわけじゃなかったから、その実情はわからない。
ただ、とにかく単純に志村くんは、彼が創る音楽に対する僕の見解を面白がってくれていたんだと思う。
そんな想い出もあって、昨年末以来ずっと、僕は気がつくと無意識に今回書いたような文章を頭の中で
組み立てては、壊していたのだと思う。彼が僕の話に嬉しそうに笑う姿を思い浮かべながら。
こんなにもたくさんの言葉(たぶん生まれて初めての長文だと思う)が、筋道を立てて溢れだしたのを見て、
初めて自分が、半年間どれだけ心の中でひそかに彼と彼の音楽について考え続けてきていたのかを思い知った。
とにかく僕はあの日以来、志村くんのことを深く考えないように、考えないようにしてきていた。
ただただ現実と向き合うのが恐かった。
それはまるで、あまりの哀しみに心が壊れてしまわないように、リミッターがかけられていたみたいだった。
とにかく抱えているすべてを外へ吐きだしてしまわないと、とても僕は富士Qで彼の曲を歌うことが出来ないと思った。
昼下がりに目覚めた僕は、この文章をいくつかに分け、1年間放置してしまっていたblogに綴ることを決心した。
それから毎朝目覚めると、分割した文章を簡単に推敲してはblogに更新した。
そして、blogを読んでくれたフジファブリックのファンのかたから頂いたメールで、僕がこの文章を書いた日が、
志村くんの30回目の誕生日、7月10日だったことを知り、その事実に驚かされた。
まったく知らなかった。前日のリハーサルでも誰もそんなことは話していなかったはずだ。
僕はあの奇妙な左半身の発熱を思い出した。
あれはきっと、何度頭の中に完成された文章が浮かんでも、絶対にそれを書き留めようとせず、
「志村くんゴメン。いつか書くから」と心の中で言い訳しながら逃げてしまうことが多かった僕に、
しびれを切らした志村くんが起こしたものだったんじゃないかと思ってしまった。
そしていよいよ、富士Qのイベント当日がやってこようとしていた。
つづく