80年代前半のクラブ創世記からDJとして活躍し、伝説のDJ ラリー・レヴァンをはじめとするおおくの著名なインターナショナルDJたちとも共演、いまも日本のクラブミュージック シーン影響をあたえつづけている、まさに日本を代表するDJ、DJ NORI。
今年(2009年)は、DJ活動30年目を迎え、各地で30周年イベントが開催されている。
ここではDJをはじめたキッカケから、自転車や野球についてなどのプライベートな質問まで、DJ NORI氏の30年間を凝縮したインタビューを2回にわたってお贈りします。
構成=Kaneko Hideshi
─30周年を迎えてどんな気持ちでしょうか?
気がつくと「時間が経ったなー」という感じですよ。でも、アゲハとかリキッドルームとかで30周年パーティでいろいろな人たちに祝ってもらって、気持ちの中では整理できた部分もあるね。ありがたいかぎりです。
─DJ活動30年のなかで一番印象に残っているDJプレイの場所はどこですか?
やはり、ラリー(レヴァン)といっしょにやったとき。
それは20年前のニューヨークなんだけれど、そのときがいちばん残っているかな。
─そもそもDJをはじめたキッカケは何だったのでしょう。
当時、自分の周りの人たちでダンスが好きな人たちがいたんだけれど、彼らがよくソウル・バーに連れて行ってくれて、、、その影響はすごく大きいかな。
─それは何歳くらいのときですか?
18歳のときだね。
─実際に、クラブというかディスコでDJをやり始めたのは何歳のころですか?
それも18歳か19歳くらいのときかな。
札幌に"フリークアウト"というソウル・バーがあって、そこにDJブースがあったんだよ。そこのマスターがスゴくいい方で、早い時間に行くと『音楽を聴いていいよー!」と言われるので、ブースに入れてもらったんだよね。DJミキサーはまだ無くて、アンプの切り替えだけのヤツでさ。そのときはDJというより、知ったレコードを掛けていただけだけで、遊び程度でやっていたんだけれどね。しばらくして、アイビーの"VAN"というブランドがあるんだけれど、そこのフットボールチーム"ヴァンガード"という名前をつけたお店ができて、たまたま知り合いの誕生パーティでそのお店に行ったんだよ。
そこは"ソウル・バー"で、お店でもレコードを買っていたし、きちんとしたDJブースもあるところだったんだよね。しかも、まだダレもDJをやるヒトがいなくて、そこで「DJをやってみない?」という話になって、そのとき仕事を辞めて何もしていなかったし、興味あったからさ、それでDJをはじめたんだよ。
─それはお客さんがいるときに、DJをするということ?
そう。先輩も後輩もいないくてひとりだったから、その世界に入りやすかったよね。何でもひとりでやっていたし。"ヴァンガード"は、いまでいうクラブに近い感じかな。音楽はいろいろとかかっていたけれど、洋服関係の人たちが集まるラウンジみたいなお店だったね。
当時、"釈迦曼荼羅(シャカマンダラ)"というディスコがあって、そこのチーフDJがよくお店に遊びに来ていたんだけれど、彼に誘われて、その後"釈迦曼荼羅"に見習いDJとして入ったんだよ。
─そこで何年間か、DJをやられたのですか?
1年半くらいかな。そのあと、そこを辞めて、東京にしばらく遊びに出ていたんだよね。
六本木とかで遊んだりしていて、「こういうところでDJをやりたいな」とか思っていたんだけれど、そうしたら「東京でDJをやってみないか」っていう話がきて、それで本格的に東京に出て、DJをやり始めたんだよね。そのときに、(高橋)透さんに出会ったんだよ。透さんとは、そこからの付き合い。
─それは長いですね。
長いよねー。それが21歳くらいのとき。
でも、六本木もいろいろと厳しい時代になりかけの頃だったから、東京にいる間、けっこう煮詰まったりしていたんだよ。そのとき、ちょうど知り合いに「沖縄でDJをやらない?」って言われて、それで沖縄に行くことにしたんだよね。もともと自分には"放浪癖"があったからさ(笑)。沖縄には半年くらいいたのかな。
東京で精神的にもけっこうボロボロだったんだよ。ひとりでDJを12時間とかやらされたりしていたからね。体的にけっこう厳しくて──、だいたい夕方5時から朝の5時までだよ! その間1時間くらい休憩があるとかだけれど、でもそれを2ヶ月くらい続けたらね、体がおかしくなっちゃってさ。まあ、若かったから出来たけれどね。でも、ボロボロだったね。
─それで沖縄に行かれたのですか?
そう。沖縄がかなりいい感じだったんだよね。ベース(米軍)とか行ったりしてさ。でも、東京で透さんからもニューヨークの話を聞いていて、「アメリカに行きたい」という思いがあったからね。ヒトから聞いていてもさ、やっぱり自分で行かないと意味がないから。それでそのときに「ニューヨークに行こう!」って自分のなかで決めたんだよ。
─そのままニューヨークへ行かれたのですか?
いや、その後も東京に戻ってしばらくDJをやっていたんだけれど、ピンと来なくて──。アメリカに行きたかったんだけれど、そのまま東京でDJをやっていても行けそうになかったから、とりあえず、北海道に戻って、いろいろバイトして──もちろんDJもやっていたんだけど、お金貯めてね。それでやっとお金がたまったから行ったんだよね、ニューヨークに。
それが23歳のころ。
─最初にニューヨークに降り立ったときの感じはおぼえていますか?
アガリまくっていたね。「来たぁー!」って(笑)。
─私も3年くらい前にニューヨークに行ったのですが、なんか"アガる"街なんですよね。街にもパワーがあるし。
ヒトからのパワーがスゴいし、ギラギラしているから、それを感じるよね。クラブとかは、野性的で動物園のようだったから(笑)。この街はスゴいなみたいな。
─その時にラリーと出会ったのですか?
それはまだまだ先で、そのときはまだラリーの存在を知らなかったんだよね。ニューヨークへ行ったあとは、また東京に戻ってDJをやっていたよ。
─いつごろその存在に気づいたのですか?
85年くらいに北海道に戻って、HEYTAといっしょにDJをやっていたんだけれど、
そのときに(パラダイス)ガラージを知って、それでラリーの存在を知ったんだよね。
─その頃、DJはどのような動きをしていたのですか?
85年に、札幌に大きいディスコが出来て、そこのDJをまかされて、それを1年半くらいやったかな。それから掛け持ちでいろいろとDJ活動を始めたんだけれど、当時は"箱入りDJ"の時代だからさ、そういう感じでフリーでDJをやるヒトが全然いなかったんだよね。東京だったら、(藤原)ヒロシとか(高木)完ちゃんとか、みんなフリーで動いていたけれどね、札幌では、最初、HEYTAとオレくらいしかいなくて、フリーで何軒も掛け持ちでDJをやっていたよ。
そのころに井出(靖)くんにも出会ったりしているんだよね。
─そのあと、フリーでDJの活動をつづけられて──。
それが86年の終わりくらいかな、それでまたニューヨークに行くんだよね。
─ニューヨークでDJをやり始めたのはいつなんですか?
FUJIYAMA MAMA(フジヤマ・ママ)というレストランがあるんだけれど、そこは"ツバキハウス"のオープニングのDJをやった"ちあき"さんというヒトがいて、もともと"チアキレストラン"というお店をやっていて、その2号店としてつくったお店なんだよ。
店の中にいいスピーカーを入れたりして、1年くらいかけてつくったお店で、そこで週に3日から4日くらい、透さんとDJをやらせてもらったんだよね。
─しばらく、そこで続けていたのですか?
そう。透さんは"GOLD"のために東京に帰ってしまったので、そのあとはひとりでやってましたね。そのころにラリー(レヴァン)と出会ったりしてね、もう(パラダイス)ガラージはクローズしていたんだけれど。彼とはその後も交流があったんだよね。そのあたりから、"キングストリート"の"ヒサ(イシオカ)"くんとも仲がよくなっていて、みんなでパーティをやることになったんだよ、それでラリーが中心になって──。
それで初めていっしょにやったのが1989年11月3日の文化の日で、"CHOICE"というクラブ。そのときのラリーとのシチュエーションが、30年間で一番印象に残っているんだよね、インパクトがあった瞬間だよ。
もちろん日本でやっているときもいろいろあったけれど、これだけDJをやったなかで、それが一番印象に残っているかな。
─一緒にDJをやられたときの感想はおぼえています?
最初にボクがDJをやっていたんだけれど、もうレコードもけっこう無くなってきて、ラリーに「そろそろ替わらない?」って言ったら、彼は「まだまだお前ががかけろ」って。でも、もうかなり煮詰まってきたときに『レスキュー・ミー』という曲をかけたら、とたんにラリーがブースに入ってきて、次にパッと曲をかけたんだよね(笑)。さすがだね、ラリーは。あのときは「ああ!伝わったな」って思ったよ。
そういえば、そのイベントの前日にも「明日やるんだから、機材とかに慣れておけ!」って、CHOICEにいきなり呼ばれて、「DJをやれ!」と言われてやったんだよね。そのときに一緒にやったのがダニー・クリヴィット。ダニーとは、そのときにラリーに紹介してもらってからの付き合いだよね。
─みなさん、もう長いんですね。
長いよ(笑)!
それだけ時間が経ったということだよね。
ヒトのつながりって面白いよ。
─職業的には不安定な世界。DJをつづけていて「もうダメかな」とか思ったときとかありますか?
何回もあるよ!いまもそうかな、みたいな(笑)。まあ、いまは気持ち的に楽しんでやっているけれど、煮詰まるときはいつもあるよ。
─その時の立ち直るキッカケみたいなものは何でしょう?
でもね、そういう感じなったときに、また忙しくなったりするんだよ。不思議な流れだよね。ここまでやって来れたのは、ホント周りの人たちのお陰。それにつきますよ。
(後編へつづく)
DJ:Baby China a.k.a 岩垣啓太(King Rock) from KYOTO.
玉井喜洋(polkadot) from NARA.
BABAO(Nothin) from KYOTO.
OPEN/START 22:00→DEEP NIGHT.
ADV¥2000(別途1D)/DOOR¥2500(別途1D)
京都市中京区木屋町通三条下ル材木町186.
TEL 075-212-5668
http://www.sparkle2009.com/
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2009.5.23.sat
BANDAI NOMAD 〜DJ NORI 30th Anniversary Special 2day's〜
@新潟praha
DJ:DJ NORI(GALLERY/SMOKER/VOYAGE)
ATSUSHI(Galaxy far),Ray(Galaxy far),Bunpei
22:00 ADV¥2500(1D)[5月23日(土)&24日(日)両日入場可能]
DOOR¥3000(1D)
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2009.5.24.sun
BANDAI NOMAD 〜DJ NORI 30th Anniversary Special 2day's〜
@新潟praha
DJ:DJ NORI(GALLERY/SMOKER/VOYAGE),DJ MORIOKA(m.o.k./Inspire)
22:00 ADV¥2500(1D)[5月23日(土)&24日(日)両日入場可能]
DOOR¥3000(1D)
Total Info.
praha (025)249-2121 www.peacemaker-inc.com/praha/
Ticket Playguide
Ark,nostalgium,Give me Chocolate,Rerun,SOI,VINYLITE,たまりば,praha
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2009.6.6.sat
-mule musiq 5th anniversary party vol.4-
club asia and root&branch,mule musiq presents
"liquid liquid live in japan"
@CLUB ASIA
ARTISTS: Liquid LIquid, NORI, KZA.
23:00 DOOR¥6000/ADV¥5000
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2009.6.12.fri
"3rd Anniversary Party -Upbeat Trip to Mado Lounge 2009-"
OPEN:23:00〜 DOOR:¥3,500
DJ KRUSH, DJ NORI, DJ KENSEI
VJ 100LDK
23:00 DOOR¥3500
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